フィルムカメラ

 

 

 

 今回は少し真面目に、僕の好きなものの話をしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 「人は〜忘れゆく生き物〜♪」

 という歌詞があった。誰が歌っていたかは忘れたが、本当にその通りだと思う。

 

 人の記憶なんてものは驚くほど曖昧で、1年前にみた光景をはっきりと思い出すこともできない。昨日すれ違った人の顔や先週食べたご飯がどうだったか、教科書の最後の行を読み終わる頃には、一行目に何が書いてあったかもあやしい。

 

 良いのか悪いのか、とても適当な脳みそを授かった人間は、足りないものを補う為に様々な物を作ってきた。その中のひとつが「カメラ」だ。当時の人たちからすれば、とんでもなく衝撃的な発明だったことが想像できる。最初は限られた人しか持てなかったその発明品は、長い時間をかけて形を変え、今では僕を含め多くの人たちの道具となった。研究者の人たちには本当に頭が上がらない。

 

 

 

 

 

 僕は、「この瞬間を忘れたくない」と思った時、写真を撮る。未来の自分が、その時を思い出せるようにシャッターを切る。大げさな言い方かもしれないが、「責任感」や「義務感」を感じることすらあるから面白い。もしかしたら、将来の自分に撮ることを迫られているのかもしれない。

 

 下手くそながらこの一年、フィルムカメラで多くの写真を撮ってきた。フィルムの本数でいうと52本。一本36枚で、半分くらいはハーフサイズのカメラを使ったので2000枚近くになる。フィルム代や現像代の合計まで計算してしまうと、このペースで写真を撮ることが躊躇われると思うのでやめておく。(1本36枚の写真を撮ってプリントまですると大体2000円くらい)

 スマホでも写真は撮れるし、デジタルの一眼レフカメラも持っている。鮮明に光景を写すという点ではフィルムカメラを使う理由は特にない。それでもバカみたいに金のかかるフィルムカメラを使う理由は何なのか、少し考えてみようと思う。

 

 

 

 まず一つ目に、フィルムカメラで写真を撮ることが「不便である」点。本当にたまらない。

 ボタンを押すだけで撮れてしまうスマホのカメラと違って、フィルムカメラはすごく面倒だ。自分で明るさを調整して、ピントを合わせてシャッターを切る。36枚撮り終わるまでは確認する事もできない。撮り終わったらフィルムを巻き上げて、店に持っていき、現像とプリントをしてもらって初めて写真になる。すごく面倒臭いし手間もかかる。でも、面倒だから後で見た時に思い出すことができる。

 便利であるという事は、ほんのすこし退屈だ。何から何まで自分の代わりに道具が頑張ってくれる。便利ではあるけれど味気ない気もする。色々な事が効率化されて、便利になっている時代に生まれた僕達にとって「不便である」ことは貴重で新鮮なことだ。

 

 次に「失敗できる」という事の魅力について。

 初めてフィルムを現像した時、その写真を見て「こんなにもうまく撮れていないのか」と驚いた。驚いたのだけれど全く悲しくはなかった。むしろワクワクするというか、なんというか、思い切り失敗できた事にテンションが上がった。多分一本目のフィルムでそれなりの写真を撮ることが出来ていたら、こんなに好きにはならなかったと思う。失敗してしまった写真もなんとなく味があるように見えるし、失敗するから良い写真が撮れた時に喜べる。すごく単純だ。

 

 

 

 書き始めて気づいたけど、全部書いていたらとんでもない文量になるので、また次回にしようと思う。

 

 

 

 

 

 たぶんこれからも写真を撮るし、これまで撮ってきた写真を見返して懐かしい気持ちになるのだと思うと、とても楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 次回に続く。おわり。