Tポイントカードはお持ちですけどいまさら出せません。

 

 

 

 僕のアパートから歩いて10秒。道路を挟んで向かい側にあるスーパーへ行く。夜ご飯を買いにいくためだ。半額になった惣菜弁当2つとお茶をカゴに入れ、レジへと向かう。食べ物が半額になっている時に、「半分の値段で買える」と思うような出来た人間ではない。「倍食べることができる」と思ってしまうのだ。

 

 レジには列ができていて、店員さんはメトロノームのように一定のリズムで「ピッ。ピッ。」と商品もろとも客を捌く。

 

 この、すっからかんの胃袋に2つの半額弁当が収まる事を想像する。幸せというのは、幸せが来る事を想像する時間にこそ存在する。食べているときはさほど幸せではないだろう。

 

 

 

 ここまでは良い。

 

 

 

 

 

 僕の順番。商品が3つなのでスムーズに「ピッ。」が終わって、会計の行程に入る。普段右のポケットには小銭が入っているので、そこから夕食代を出そうと思う。

 

 『Tポイントカードお持ちですか?』

 

 「いえ、大丈夫です。」

 

 

 

 本当はというと、お尻のポケットに入っている財布の中にTポイントカードは存在するのだが、今日はそのままポケットに入っている小銭で会計をすませる予定だ。わざわざ財布を出して、カード入れの中からTポイントカードを出すまでもない。

 

 会計の合計をレジの横にあるモニターで確認する。

 

 ポケットにそのまま入っていた小銭では微妙に足りない。「あぁ、なんだ足りなかったか。」と思ってお尻に手を伸ばすが、そこで動きは止まる。

 

 

 

 

 

 ここで財布から小銭を出したら、財布の中にあるTポイントカードが店員さんに見られてしまうかもしれない。見られてしまったが最後、つい数秒前「いえ、大丈夫です。」とクールに答えた自分は崩れ去り、社会的に嘘つきというレッテルを貼られることになるだろう。何としてでも隠し通さなければならない。

 

 

 

 

 

 ふと思う。Tポイントカードは、なぜこんなにも主張の強い色なのだろう。

 

 野生の世界では、弱き者は自らの身を守るために擬態する。強者に見つかるまいと、数千年という時間をかけ、己を周りの風景と一体化させる。現代社会でもそうだ。「出る杭は打たれる」という言葉がある様に、目立つということはなかなか加減が難しい。

 

 

 

 それなのにTポイントカード。お前はどうだ。

 

 財布の中のお前の主張、態度、立ち居振る舞い。まるで「王」の様ではないか。たかだか数ポイント。その数ポイントがお前を王たらしめる所以なのか?レジ袋を使用しないことによって得られるポイント数が増えることが、その確固たる地位を支えているのか?

 

 

 

 

 

 納得できない。

 

 

 

 別に僕は、Tポイントカードを出したくなかった訳ではない。ただ少し取り出すのが面倒で、少しだけ横着しただけなのに。なんでこんなにも思考を巡らせて、悩まされているのだろう。

 

 

 

 

 

 僕はTSUTAYAでDVDが借りたくて、半額の弁当を食べたかっただけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 しょうもないのでおわり。