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コラム 「穴」

 

 

 

 

 

 

「穴」 : (訓:あな、音:けつ) とは、あけたり掘ったり入れたり埋めたり予想されたりされなかったりするもの。

 

 

 

 

 

 「穴」というものに出会ったとき何を思うだろう。人によっては不安や恐怖を感じるかもしれない。当然何も思わない人もいるだろう。

 

 僕にとって空洞は、どれくらいの奥行きがあるのか、その先に何があるのか、どんな用途なのか、わからなければわからないほど素晴らしい。

 

 

 

 

 

6月24日 

 にわか雨は止んで、太陽が恥ずかしげに顔をのぞかせた。雲の灰色とほんの少しの青。太陽はまるですべてを吸い込む穴のようだった。

 僕は腕にかけたビニール傘から水滴を垂らしながら小道を歩く。雨上がりの道はコンクリート。ぬかるむことなどない。この固い地面に足あとを残すことができたなら僕の気持ちも晴れただろうに。

 

 

 水たまりは空を映し、水滴が水たまりの中の空を揺らしている。たまには知らない道を、行く当てもなく歩くのもいい。このまま一人足を動かしてさえいれば、無理に笑わなくてすむ。

 

 

 ここのところ目に映るものすべてが作り物に思える。規則的に時を刻む時計も、交差点の信号も、携帯電話を見つめながら歩く人々も、僕の目の届かないところで動いていないのではないかと。

 最新式の薄型テレビをつければ、きれいな顔立ちをしたニュースキャスターが遠い国で起こっている出来事を淡々と話す。僕にとってはまるで現実味のない出来事で、それが真実なのか確かめようもない。

 

 

 

 

 すれ違う人達は、僕のことなど気にもしない様子だ。僕にとって彼らが他人であるように、彼らにとっても僕は他人で、明日の記憶にも残らない。

 

 

 

 

 ふと気が付くと大きな穴の前に立っていた。不自然なほど暗く深い空洞だ。僕はその空洞に吸い込まれていく。まるでそれが当たり前のことであるように。一歩一歩その穴の奥へと歩いていく。妙に居心地が良かった。ひんやりと冷たい空気が身体を包む。中は複雑に入り組んでいて、枝分かれする道を黙々と進む。

 果たして誰が何のために掘った穴なのだろう。ちょうど人が一人通れるほどの幅で、むき出しの土はざらざらと不均一な掘り方をされている。終わりはまだ見えない。徐々に狭くなっていく穴の中は寂しさすら感じさせない。

 

 

 

 

 外の世界では、少しずつ太陽は西へと進み、地面に浮かぶ水は渇いていくのだろう。僕は時間さえこの穴の外に置いてきてしまった。ここには僕の望むものがすべてそろっている。今の僕にとって必要なもの以外は本当に必要ではない。

 

 

 

 

 

 

 顔を下に向け地面を這いつくばっていると、道はそこで終わっていた。とうとう穴の終わりまで来てしまったようだ。これ以上ないほど汚れたシャツや、途中どこかに置いてきてしまったスニーカーにも意味はない。達成感なんてあるはずがなかった。

 

 

 

 

 

進まなければならない

 

 

 

 

 

僕にはそうする責任がある。

 

 

 

 

 暗闇の中、まるで何かに取りつかれたように穴を掘る。なぜ自分がそうしているかもわからない。でも、確実に今までとは違う。僕は僕の意志で進んでいた。爪の中にたまった土の違和感も気にならない。指の先は赤い血が滲んでぼろぼろだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この穴は僕自身だ。来た道も覚えてはいない。