コラム 「ネレナイ」

「ネレナイ」

 

 

 たとえば何かに順位をつけて日本人を一列に並べたら、ちょうど真ん中に立っているのは僕だろう。いや、そうに違いない。世界は僕を中心に回ってはいないけど、この列は僕を中心にできている。

 

 今日もいつも通りの時間に鳴る携帯のアラーム。 皆さんおはようございます。僕は普通の大学生。中肉中背で不細工でもなければ格好よくもない。毎日の楽しみといったら、笑顔でお天気を教えてくれるテレビのアナウンサーと睡眠くらい。

 いつもと同じ朝の支度を済ませ、いつもと同じ通学路を歩き大学まで徒歩5分。いつもと同じメンバー、多くない友達と学食のテーブルを囲み、それなりに大学生らしい時間を過ごす。でも、長いこと版画みたいに同じような1日をぺったんぺったんやってきた僕には、友達を笑わせられるような面白いエピソードはない。当たり障りのない話をして、適当に相槌をうっている。

 

 そんなことはさておき、学食のラーメンっていうのは実に素晴らしい。なんてったって普通の味だ。特別美味しい訳ではない。そういう所が僕の舌によく合う。きっと僕の友人達も学食のラーメンをすするような感覚で僕と付き合っているのだろう。

 午後の講義でも呪文にしか聞こえない教授のささやきが僕を夢の世界へと連れていく。椅子のガタガタという音で現実世界に戻り、身体にまとった気だるさもそのままにバイト先へと向かう。居酒屋のホールで働く僕は笑顔と元気と時間を売り物にしていて、いまのところ僕の価値は時給850円。それ以上でもそれ以下でもない。永遠にも感じられる6時間が過ぎ、ひきつった笑顔をほぐしながら自転車にまたがり家に向かう。息は白い。

 

 とにかく僕は異常なほどありふれた人間だ。 悲しいことに今の社会は僕のような人間に厳しい。どいつもこいつも普通であることを嫌い、個性とか、アイデンティティとか、自分らしさとかいうものに酔いしれている。ここまで個性至上主義がはびこる社会で、平凡な自分をありのまま受け入れることができた僕はある意味超個性的な存在なのかもしれない。

 

 かたや気まぐれに立ち寄ったレンタルビデオ店のスピーカーは、少し前に流行った映画の主題歌を流す。

「ありのままの姿見せるのよ」

 果たしてこの曲に共感し、口ずさむ人達はありのままの姿で生きているのだろうか。

 こんな毎日を過ごしていると、もしかしたら自分は時空の歪みに吸い込まれて同じ一日をループしているんじゃないかと思う時がある。でも着実に手帳のページはすすみ、排水口には髪の毛が溜まっていく。

 

 自転車を停め、階段を登る。家賃3万8000円のアパートは今日もあたたかく僕を迎えてくれる。玄関の鍵を閉め、冷蔵庫から冷えた水を取り出しコップにそそぐ。少し口にしてテーブルに置いた。今日もいつも通りの一日だった。

 シャワーを浴びる。歯を磨く。ジャージに着替え、Twitterを眺める。大学に入学して間もない頃、入学者説明会で話しかけられ、なんとなくフォローした知り合いは、毎日楽しげな出来事をネット上に吐き出している。よくも話題が尽きないものだと感心する。時計を見ると12時20分。いけない、僕は毎日12時30分に寝ると決めている。明日のタイマーが7時30分に設定されていることを確認した僕は電気を消して毛布をかぶった。寝つきはいいほうだ。

 

 

いつもと同じ。いつもと同じだ。

 

何かがおかしい。

 

いつもと同じはずなのに、今日は眠くないのだ。

そんなはずはない。変わったことは何もなかった。今までこんなことはなかったのに。

 

 僕の意思とは裏腹に僕の頭はギンギンに冴えている。今だったら、人間の真理を説く哲学や、どんなに複雑な数式にも立ち向かえる自信がある。

 無理矢理目を閉じる。閉じられた瞼の中で僕の眼球はどっちを向いているのか。意識的に眼球を動かす。何ともおさまりが悪い。そもそも、電気を消して目を閉じているはずなのに、僕が見ている世界は完全に暗くない。カーテンの下の隙間から隣にあるアパートの電灯の光が漏れている。カーテンの長さが微妙に足りないのが原因だ。

 口の中には爽やかな歯磨き粉の味が広がっている。その爽やかさすらも今は恨めしい。舌の位置が気になり、前歯に舌の先をくっつけるがどうも違う。舌を丸めたり伸ばしたりしながらベストな位置を模索するものの一向にしっくりこない。強固な前歯は「ここはお前なんかが来る場所ではない」と舌先に語りかけ、柔らかなほほの肉は「もっといい場所があるんじゃあない?」と舌先をさとす。

 

 明日も一限から講義がある。いつまでもこんなことで苦しんでいるわけにはいかない。何よりも、僕の「普通」を崩すわけにはいかないのだ。僕は普通であることに誇りを持っている。代わり映えのしない一日というものはとても居心地がいい。ここでこのレールから外れてしまったら、もう二度と安定した日常には戻れないと思った。

 

 今思えば、僕は正しい寝方というものを誰かに教えてもらったことがない。こんなにも大切なことなのに、なぜ親や先生は睡眠の方法を教えてくれなかったのか。明らかに日本の教育の欠点である。生まれたばかりの赤ちゃんは誰に教わるわけでもなく気持ちよさそうに眠る。今の僕にとって赤ちゃん、いや、「赤さん」は師匠とも呼べる存在だ。こんな夜に寝付けないでいる赤さん以下の僕は、ママの胸に抱かれて泣きわめきたいところだが、そこをぐっとこらえる。赤さん、あなたとは踏んできた場数が違うのだ。

 

 眠れないとき、人間は羊を数える。もともとは英語圏の人がsleepとsheepの発音が似ているとかいう理由でこんな習慣ができたらしい。よくよく考えたら、この羊たちこそ不憫だ。こんなしょうもない理由で、夜遅くに世界各国からお呼びがかかる。羊たちに同情せざるを得ない。

 

 

「今日は、さいたま市桜区の佐々木さんの家に二時半で。200匹いれば足りると思うわ~」

 立派な角を生やした羊のバイトリーダーが言う。依頼人が眠りにつくまで一匹ずつ柵を飛び越えるこのバイトは待機の時間が長い。待機場所の小屋に詰め込まれた羊たちの世間話が聞こえる。

 

 

 

「この前、柵飛ぶとき腹の毛が引っかかったのよ。そしたら社長が毛刈って来いってさ」

「今の毛型、メスに好評なんだけどな・・・」

 

 

 

「おれさ、このバイトやめようと思ってるんだよね」

「いやぁ、ほら、おれ来年の今頃はジンギスカンじゃん? あんまり飛びすぎて筋肉つくと美味しくなくなるらしいんだ・・・」

 

 

 

 切なすぎる。僕の勝手な都合で羊たちに迷惑をかけるわけにはいかない。彼らの幸せを祈る。

 

 

 壁に掛けられた時計は3時15分を指している。もう夜なのか朝なのかわからない。きっと新聞配達の原付はエンジンを温めながら、人通りのない路地を爆走しているだろう。眠そうな青年と、今日の新聞を乗せて。細い秒針は不規則に時間を刻んでいる。

 

チク・・チクタク・・・チクタク・・チクタクチク・・・・・

 

 

 限界だ。布団を剥いで立ち上がる。壁に掛けられた時計に手をかけ電池を外す。

 

チクタク・・・チク・・・タクチクタク

 

 

 

 どこだ、この音はどこから聞こえているのだ。とりあえず手に持った時計を床に叩き付け、割れたプラスチックの隙間から秒針をへし折る。音は止まったようだ。

 

 だんだんイライラしてきた。もう何もかもどうでもいい。地球温暖化も、消費税増税も、気になるあの子が今どうしてるかも、ドアノブのぐらつきも、今寝れないでいることすらも、僕にとってはどうでもいい話だ。関係ない。関係ないのだ。おそらく僕は悪い夢を見ている。そうとしか考えられない。

 

 服をすべて脱いでみる。これがありのままの姿だ。いや、まだ足りない。僕はこの家賃3万8000円に覆われている。不自然な状態だ。月に僕自身を見てほしいと思った。窓の外は、モコモコした毛皮をまとった羊でさえ凍えてしまうような気温だ。もし、ありのままの姿で窓を開け、ベランダにでも出ようものなら、あまりの寒さに「寒い!」と叫んでしまうだろう。

 

 それでも僕は行く。男には駄目だと解っていてもやらなければならない時があるのだ。父上、母上、先立つ不幸をお許しください。

 窓に手をかけ、ベランダへと歩みを進める。

 

「ベランダに!裸で出たら!寒い!!」

 

 悲痛な叫びは隣のアパートの壁にぶつかりこだまする。僕の声は誰かに届いているのだろうか。

 

 僕は月を見つめる。月も、僕を見つめる。すべてそれだけでいいと思った。

 

 

 結局、一晩中眠ることができなかった。でも、なんとなく気持ちがいい。生まれ変わったような気分だ。クローゼットの奥から派手な色使いの服を取り出す。以前、勢いで買ったはいいものの、冷静に考えて俺には似合わないと思い、捨てようか迷っていた代物だ。でも今日は違う。今日の俺ならこの原色の服を着こなせる自信がある。鏡に映る自分は昨日までの自分とはまるで別人のようだ。

 スニーカーのかかとを潰して外に出る。いつも通らない道を歩いてみる。はじめましての景色が俺の視界いっぱいに広がった。大きめの石を蹴る。爪先が痛かった。コンビニを発見する。一人、駐車場の縁石に腰かけ新発売のカップラーメンをすする。刺激的な味だが、今の俺の舌によく合う。これがパンクロックってやつだ。

 早く友達に会って昨晩の出来事を話したかった。驚いて腰を抜かし、腹を抱えて笑い転げる友人を想像すると自然と歩幅が広がった。 

 教室に入り、一番前の席に座る。いつもは退屈な教授の冗談も今日は面白くてしょうがない。

 12時10分、時は満ちた。集合はいつもの学食。これがお洒落なカフェとかだったらさらによかったのだが、しょうがない。足を組んで待つことにしよう。

 奴らが来た。いつも通りそっけない挨拶を済ませ、同じテーブルを囲んだ。まだ俺の変化に気づいた奴はいないようだ。俺以外の奴らは昨日のテレビの話をしている。俺はいつ話をぶち込んでやろうかタイミングを見計らっていた。

 

 

『あれ?今日なんかお前雰囲気違くね?』

 

 ナイスだ佐々木。彼らを抱腹絶倒の渦に巻き込むのは今しかない。

 

「やっぱりわかっちゃう? 俺さ、昨日ヤバいことあったんだよね」

 

 奴らの目線が俺に集中する。こんなことは初めてだ。俺は変わってしまった。もう元には戻れない。

 

「俺、昨日な、寝てないんだぜ。寝ようとしても全然眠くねえの。ヤバくね?」

決まった。さよなら昨日の自分。

 

『俺も昨日寝てねえわ~』

 

 佐々木がなぜか共感するような目でこっちを見ている。

 

『俺も最近寝れないんだよね』

『マジ寝不足』

 

 俺には彼らが何を話しているかわからなかった。愕然とする俺を気にする様子もなく、彼らはまた昨日のテレビの話を始める。

 

 

 

やっぱり僕は普通の人間。今日はよく眠れそうだ。