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ぼくはSTAR WARSを見たことがない。

 

 

 

 僕はSTAR WARSを見たことがなかった。見ることから逃げていたといった方が正確かもしれない。

 長い間STAR WARSに関する情報が入らないよう耳を塞いでいた。実際、この前までC-3POR2-D2の区別もつかなかったし、主役はジョージ・ルーカスだと思っていた。「FANBOYS」というSTAR WARSファンの映画は見たことがあるけど、やっぱり重要な情報は聞かないふりをしていた。

 

 

 

 

 

 僕はSTAR WARSが大好きだった。見たことがないのに大好きなんて、変なことを言っているのはわかっている。それでも大好きだった。変でも構わないと思っていた。21年という長い歳月をかけて、僕の塞いだ耳の隙間から流れ込んでくる情報は、それだけで僕をワクワクさせてくれたのだ。

 

 

 

 STAR WARSを見るのがただ怖かった。僕の膨らみ過ぎた期待を裏切られる事を恐れていた。見たは良いけど微妙だったりしたらどうしようとか、好きになれなかったらどうしようとか。会ったことはないけど、想いを寄せているメル友なんかが居ればこんな感じなんだろうと思っていた。

 

 

 

 「え~STAR WARS見たことないの~?ざぶ絶対好きだよ―」

 

 友人の心無い言葉に傷ついた。確かに彼らからすれば僕は臆病者かも知れない。でも、そこら辺のSTAR WARSファンよりはSTAR WARSを愛している自信があった。STAR WARSが見たかった。全身でSTAR WARSを感じたかった。

 

 

 

 それでも、同居人が作っていたC-3POのプラモデルが僕には眩しすぎた。

 

 

 

 

 

 彼女と二人でゲオに行った。STAR WARSを借りるために。全部レンタルされていればいいのになぁと思っていた。残念ながらDVDは全作残っていて、エピソード4,5,6,7を借りた。手は震えていた。

 

 

 

 結果的に3日間で4作のSTAR WARSシリーズを観てしまった。全く後悔はしていない。STAR WARSは僕の想像を遥かに超えて最高だった。控えめに言っても最高だった。多分僕はこれからゲオに行ってエピソード1,2,3を借りるだろう。ローグワンも絶対に映画館で見る。フィギアとかプラモデルとか色々買うことになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 でも、僕はこれから何を楽しみに生きていけば良いんだろうと少し不安になった。

 

 フォースと共にあらんことを。

 

 

 

 

 

 おわり。

 

 

 

 

 

 

ご飯(メモ)

 

 

 

 やれクリスマスだ、年末だと正当化して、この三連休食べまくりました。

 

 

 

ー23日ー 

昼・・redpot(カレー)

夜・・鍋焼きうどん

 

ー24日ー

昼・・バーガーキング(ハンバーガー×2、チキンナゲット)

夜・・ローストビーフ(350g,4000円)

   ミネストローネ

   ライスボールフライ

   ピザ(カレー味)

   ケーキ

 

ー25日ー

朝・・ピザ(カレー味)

昼・・redpot(カレー)

夜・・すき焼き

 

 

 

 カレー食べ過ぎでした。

 

 

 

 

 

おしまい。

 

道路の長ネギ

 

 

 

 道路に長ネギが落ちていた。一本だけ。

 

 

 

 これが長ネギじゃなくて犬の糞だったらなんて事はない。よくある事で片付けられる。でも長ネギだ。他でもない長ネギ。アスファルトに一本、長ネギが落ちている状況を僕の脳ミソは処理しきれない。そこに長ネギがあるという事には何かしらの理由があって、通りすがりの僕には、もうその理由を知る術はない。

 

 理由を知る術がない以上、想像力でなんとかするしかない。

 

 こういう時は、僕の頭の中カンパニーで雇っている小さいおじさんが、頭の中サミットを開催する。「演出家」「構成作家」「ハイパーメディアクリエイター」「スーパーエグゼクティブプロデューサー」「パーティーオーガナイザー」「スティーブン・スピルバーグ」。全員メガネをしている。

 あーでもないこーでもないと、アスファルトに長ネギが存在するに至った経緯や、そこから展開されるストーリーを話し合うが、納得のいくものはなかなか出てこない。

 

 

 

ーラブコメの場合ー

 

 買い物帰りの千代子は、今晩食べる湯豆腐の材料を買い物袋にいれて、いつもの道を歩いていた。何を考えるでもなく、ただ漠然と歩みをすすめるその様子は、千代子の人生そのもののようだった。

 

 「奥さん、長ネギを落としましたよ。」

 

 振り返るとそこには、20代前半だろうか、整った顔立ちの青年が立っていた。長ネギを持って・・・・・

 

 

 

 

 

 ラブコメと呼ぶには生活感がありすぎるのでボツだ。長ネギから始まる恋というのもどうかと思う。

 

 火曜サスペンスなら、長ネギがダイイングメッセージにでもなっていて、緑の部分が向いている方向にある家の主人が犯人といったところだろうか。ボツだ。SFなら、長ネギの横にあるボタンを押すとライトセーバー的な、ビームサーベル的な武器になり、ゆくゆくは宇宙戦争に巻き込まれる感じだ。ボツ。

 

 どうころんでも駄作になるであろう事は理解出来た。

 

 

 

 

 

  ストーリーを考えることを諦めた頭の中サミットでは、今晩の夕食を何にするかが議題になっていたが、「長ネギが沢山入ったお鍋が食べたいな」という事で全員の意見が一致したとさ。

 

 

 

 

 

 

 しょうもないのでおわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Tポイントカードはお持ちですけどいまさら出せません。

 

 

 

 僕のアパートから歩いて10秒。道路を挟んで向かい側にあるスーパーへ行く。夜ご飯を買いにいくためだ。半額になった惣菜弁当2つとお茶をカゴに入れ、レジへと向かう。食べ物が半額になっている時に、「半分の値段で買える」と思うような出来た人間ではない。「倍食べることができる」と思ってしまうのだ。

 

 レジには列ができていて、店員さんはメトロノームのように一定のリズムで「ピッ。ピッ。」と商品もろとも客を捌く。

 

 この、すっからかんの胃袋に2つの半額弁当が収まる事を想像する。幸せというのは、幸せが来る事を想像する時間にこそ存在する。食べているときはさほど幸せではないだろう。

 

 

 

 ここまでは良い。

 

 

 

 

 

 僕の順番。商品が3つなのでスムーズに「ピッ。」が終わって、会計の行程に入る。普段右のポケットには小銭が入っているので、そこから夕食代を出そうと思う。

 

 『Tポイントカードお持ちですか?』

 

 「いえ、大丈夫です。」

 

 

 

 本当はというと、お尻のポケットに入っている財布の中にTポイントカードは存在するのだが、今日はそのままポケットに入っている小銭で会計をすませる予定だ。わざわざ財布を出して、カード入れの中からTポイントカードを出すまでもない。

 

 会計の合計をレジの横にあるモニターで確認する。

 

 ポケットにそのまま入っていた小銭では微妙に足りない。「あぁ、なんだ足りなかったか。」と思ってお尻に手を伸ばすが、そこで動きは止まる。

 

 

 

 

 

 ここで財布から小銭を出したら、財布の中にあるTポイントカードが店員さんに見られてしまうかもしれない。見られてしまったが最後、つい数秒前「いえ、大丈夫です。」とクールに答えた自分は崩れ去り、社会的に嘘つきというレッテルを貼られることになるだろう。何としてでも隠し通さなければならない。

 

 

 

 

 

 ふと思う。Tポイントカードは、なぜこんなにも主張の強い色なのだろう。

 

 野生の世界では、弱き者は自らの身を守るために擬態する。強者に見つかるまいと、数千年という時間をかけ、己を周りの風景と一体化させる。現代社会でもそうだ。「出る杭は打たれる」という言葉がある様に、目立つということはなかなか加減が難しい。

 

 

 

 それなのにTポイントカード。お前はどうだ。

 

 財布の中のお前の主張、態度、立ち居振る舞い。まるで「王」の様ではないか。たかだか数ポイント。その数ポイントがお前を王たらしめる所以なのか?レジ袋を使用しないことによって得られるポイント数が増えることが、その確固たる地位を支えているのか?

 

 

 

 

 

 納得できない。

 

 

 

 別に僕は、Tポイントカードを出したくなかった訳ではない。ただ少し取り出すのが面倒で、少しだけ横着しただけなのに。なんでこんなにも思考を巡らせて、悩まされているのだろう。

 

 

 

 

 

 僕はTSUTAYAでDVDが借りたくて、半額の弁当を食べたかっただけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 しょうもないのでおわり。

 

 

 

後輩の話

 

 

 

 東北は山形。蔵王連峰に見下ろされ中途半端に開発の進まない土地。男三兄弟の末っ子として生を授かった僕は、21年間生きてきてまだ、年下の人間との関わり方がよく分からない。

 

 

 苦手なわけではない。苦手なわけではないのに、話しかけられるとそっけない態度になってしまう。

 このままでは良くないと、大して面白くもない冗談を言いながら、ポップで気さくな感じを演出しようとしたことがあったが、目に見えて体調を崩したのでやめた。

 

 

 

 僕が生きている限り、年上の人はどんどん減っていくし、年下はどんどん増えていく。確実に着実に。

 

 

 

 ロケット鉛筆を思い出す。お尻に尖ったペン先をつっこまれて、うかうかしている間に、前にいる人たちはどんどんと丸くなって、いなくなって、気付いたらもう自分が先頭ですか?といった感じで。

 

 

 

 そっけない態度になるのは、小学生の男の子が女の子に冷たいのと同じことのような気がする。僕はすごくひねくれているからたぶんそうだ。しょうもない。

 

 

 

 

 

 僕のお尻にささっている皆さん。こんな僕ですがこれからも仲良くしてください。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

余った靴下

 

 

 

 シャツのボタンを掛け違って、行き場をなくしたボタンが一つ。

 

 

 

 一本しかない箸。洗濯物を取り込んだら、相方の見当たらない靴下が一足。

 

 

 

 

 

 本当は余るはずのないものが、余ってしまうと言いようがなく気持ちが悪く、もやもやした心持のまま、残った一つをどうするのかを考える。

 果たしてこいつの相方は、いつかひょっこり出でくるのかと。

 

 

 

 

 

 なんて事を考えているともうすぐクリスマスな訳で、街にはイルミネーションがキラキラと、カップルたちはここぞとばかりに乳繰りあってるのです。

 やれ雪がどうの、プレゼントがどうのと、モミの木の下で幸せそうにするのでしょうが、彼らは両足分きっちり揃った靴下です。

 

 

 

 靴下や箸のように、初めから自分とツガイになる物があれば楽かもしれませんが、人間関係において、初めからぴったりとくる相手と一緒に出荷される事など当然ないのです。

 

 今日も街には、すでにもう片方の相手を見つけた靴下と、片っぽの靴下が。

 

 

 

 でも一番辛いのは、3つの同じような靴下があったとき、選ばれなかった靴下な訳で・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 頭が混乱してきたのでここまでにします。

 

 

 

 人間は靴下や箸とは違って、片方でも問題ないし、すこぶるハッピーなので靴下に例えるのはどうかと思いました。

 

 

 

 僕はきっちり両足に靴下を履いて、仏教徒としてのクリスマスを楽しむ所存であります。

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

手書き

 

 

 

 さてさて、よっこらせ

 

 

 

 といった感じで1年ぶりにブログを書こうかと思いまして、忘れてしまったパスワードなんかをどうにか思い出し、キーボードに向かったものの、「急にそんなことを言われましても書くことなんてありませんよ」と僕の左脳は言うのです。

 

 

 

 

 

 ああ何を書こうか。

 

 

 

 

 

 そういえば、先日後輩から色紙をもらって、改めて手書きの文字の素晴らしさに気付いたのを思い出しました。

 見慣れたゴシックだの明朝体だので書かれた文は、文字の間隔も均等で、見やすく美しい。でも、どこか冷たい感じがして、心を動かされる事なんてないとまでは言いませんが、何か別の世界から送られてきたような、そんな気がします。

 

 

 

 もらった色紙には綺麗とは言えない字が、不均一に並べられていて、決して読みやすいものではないのです。たまに誤字なんかがあったりして、ところどころインクが滲んで読めない所も。

 書く人によって丸かったり、カクカクしていたり、筆圧が強いとか弱いとか、文字が大きかったり小さかったりと。この人はどういう気持ちで書いたんだろうという事が、想像できます。

 

 

 

 

 

 考えてみれば、山奥の、大きな木に打ち付けられている藁人形の隣に「呪ってやる」とプリントアウトされた明朝体の文字が書かれていたら、笑ってしまうかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 綺麗な3DCGのアニメーションよりも、手描きの頃のジブリの映像が、画素数の多いデジタル写真よりも、フィルムカメラで撮った写真の方が、なんとなく好きなのも同じような理由かもしれないなあと思いましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。