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スーパーマーケット

 

 

 

 ああ、今日の晩御飯は何にしよう。なんて考えながらスーパーで買物をしている時間はとても素敵だ。大きなスーパーだと大抵のものは置いてあって、晩御飯のレパートリーの可能性は無限大。僕の考えつく限りありとあらゆる料理を作ることができる。

 

 ここで気をつけなければならない事が一つ。晩御飯の選択肢は無限でも、財布の中身は限り有るということ。悲しいことに毎日のように豪勢な料理を食べることは難しく、それなりの値段で済ませなければならない。ゲームで言うところの「縛りプレイ」というやつだ。そこがまた言いようもなく楽しい。

 

 スーパーでの立ち回りでは、周りのプレイヤーに目を配ることも重要だ。フィールドには流れが有って、良い品物の売り場には人が集まる。加えて、自分自身のパフォーマンスには一切関係ないが、他人のカゴの中身を見てその人の晩御飯を想像するのも楽しい。あまりジロジロ見ると迷惑になるのでサッと覗くのが紳士の嗜みと言えよう。

 

 何はともあれ、スーパーに居る人達が皆、今日の晩御飯の事を考えていると思うと、なんとなく平和な気持ちになったりするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 おしまい。

 

 

 

フィルムカメラ

 

 

 

 今回は少し真面目に、僕の好きなものの話をしようと思う。

 

 

 

 

 

 

 「人は〜忘れゆく生き物〜♪」

 という歌詞があった。誰が歌っていたかは忘れたが、本当にその通りだと思う。

 

 人の記憶なんてものは驚くほど曖昧で、1年前にみた光景をはっきりと思い出すこともできない。昨日すれ違った人の顔や先週食べたご飯がどうだったか、教科書の最後の行を読み終わる頃には、一行目に何が書いてあったかもあやしい。

 

 良いのか悪いのか、とても適当な脳みそを授かった人間は、足りないものを補う為に様々な物を作ってきた。その中のひとつが「カメラ」だ。当時の人たちからすれば、とんでもなく衝撃的な発明だったことが想像できる。最初は限られた人しか持てなかったその発明品は、長い時間をかけて形を変え、今では僕を含め多くの人たちの道具となった。研究者の人たちには本当に頭が上がらない。

 

 

 

 

 

 僕は、「この瞬間を忘れたくない」と思った時、写真を撮る。未来の自分が、その時を思い出せるようにシャッターを切る。大げさな言い方かもしれないが、「責任感」や「義務感」を感じることすらあるから面白い。もしかしたら、将来の自分に撮ることを迫られているのかもしれない。

 

 下手くそながらこの一年、フィルムカメラで多くの写真を撮ってきた。フィルムの本数でいうと52本。一本36枚で、半分くらいはハーフサイズのカメラを使ったので2000枚近くになる。フィルム代や現像代の合計まで計算してしまうと、このペースで写真を撮ることが躊躇われると思うのでやめておく。(1本36枚の写真を撮ってプリントまですると大体2000円くらい)

 スマホでも写真は撮れるし、デジタルの一眼レフカメラも持っている。鮮明に光景を写すという点ではフィルムカメラを使う理由は特にない。それでもバカみたいに金のかかるフィルムカメラを使う理由は何なのか、少し考えてみようと思う。

 

 

 

 まず一つ目に、フィルムカメラで写真を撮ることが「不便である」点。本当にたまらない。

 ボタンを押すだけで撮れてしまうスマホのカメラと違って、フィルムカメラはすごく面倒だ。自分で明るさを調整して、ピントを合わせてシャッターを切る。36枚撮り終わるまでは確認する事もできない。撮り終わったらフィルムを巻き上げて、店に持っていき、現像とプリントをしてもらって初めて写真になる。すごく面倒臭いし手間もかかる。でも、面倒だから後で見た時に思い出すことができる。

 便利であるという事は、ほんのすこし退屈だ。何から何まで自分の代わりに道具が頑張ってくれる。便利ではあるけれど味気ない気もする。色々な事が効率化されて、便利になっている時代に生まれた僕達にとって「不便である」ことは貴重で新鮮なことだ。

 

 次に「失敗できる」という事の魅力について。

 初めてフィルムを現像した時、その写真を見て「こんなにもうまく撮れていないのか」と驚いた。驚いたのだけれど全く悲しくはなかった。むしろワクワクするというか、なんというか、思い切り失敗できた事にテンションが上がった。多分一本目のフィルムでそれなりの写真を撮ることが出来ていたら、こんなに好きにはならなかったと思う。失敗してしまった写真もなんとなく味があるように見えるし、失敗するから良い写真が撮れた時に喜べる。すごく単純だ。

 

 

 

 書き始めて気づいたけど、全部書いていたらとんでもない文量になるので、また次回にしようと思う。

 

 

 

 

 

 たぶんこれからも写真を撮るし、これまで撮ってきた写真を見返して懐かしい気持ちになるのだと思うと、とても楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 次回に続く。おわり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月6日

 

 

 

 初詣、おみくじを引いたら吉でした。

 

 

 

 

 

 良くも悪くもないのでおわり。

 

 

「ジーパン」

 

 

 

 この前、大宮駅近くのロフトへ行った。

 

 僕みたいな田舎者にしたら、「この世の全ての物がここにあるんじゃないか」とさえ思えるような商品の数だったが、僕の目に留まったのは棚に陳列された物ではなかった。売られているどんなものよりも、店員さん達が履いているジーンズが格好良かった。

 

 多分、ロフトのバイトでは服装の指定があって、働く時はジーンズを履かなければならないのだと思う。作業着として履かれて、自然に色落ちしたジーンズはとてもイカしていた。圧倒的にイカしていた。

 僕の隣には、服に金を掛けてそうなおじさんが居た。店員さんのジーンズと比べると、おじさんの高そうなジーンズがすごくダサく感じた。

 

 

 

 別の日に、漁師さんが一年間履いたジーンズが、新品の倍の値段で売れたというニュースを見て、すごいなぁと思ったとさ。

 だから別にどうという訳ではないけど。

 

 

 

 

 

 おしまい。

 

 

 

1月5日

 

 

 

 疲れているので休み。

 

 

 

 

 

 振り出しに戻る。

 

 

無題

 

 

 

 僕がまだ高校生だったとき、毎日のように通った道を車で走る。

 

 薬局がなくなっていて、ラーメン屋が潰れていて、ファミリーマートが新しく出来ていた。大学に通うため山形を離れて三年。三年間でこんなにも街って変わってしまうものなのだと驚く。自分は変わっているのだろうか。

 

 僕が中学生の頃、少ない小遣いで星野源のCDを買った。たしか仙台のタワーレコードで。家に帰ってCDを聴いている時、母は「男のくせに女々しい歌を」とかなんとか言っていた気がする。

 今回の帰省、山形駅に迎えに来てくれた母の車では、星野源の新しいアルバムが流れていた。逃げ恥の原作漫画も買ったらしい。とてもありがたい。

 

 

 

 色々なものが変わっていって、それでもなんとなく懐かしくなったりするのだなぁと思うざぶです。

 

 2017年もそれなりに頑張ります。

 

 

 

 

 

 おわり。